協会の歴史

公益財団法人 日本心霊科学協会関連年表

[前史]

大正12年(1923) 浅野和三郎、「心霊科学研究会」を東京本郷に設立、現在の協会の原流となった。 機関誌「心霊研究」を発刊。同年、関東大震災に罹災し、3号を数えるのみで中断。浅野はその後大阪、横浜などで活動を続けた。機関誌「心霊界」、ついで「心霊と人生」発刊。

昭和3年(1928) ロンドンで開催されたISFの第3回国際会議に、浅野和三郎が福来友吉と共に参加。この時はじめて福来が、念写の事実と研究を発表した。

昭和4年(1929) 浅野和三郎により「東京心霊科学協会」発足。

昭和12年(1937) 浅野和三郎没。「東京心霊科学協会」は存続したが、第二次世界大戦中に活動を中止。

[発足と発展]  

終戦の翌年、本部は吉田正一宅に置かれた。旧東京心霊科学協会の会員だった宮沢虎雄をはじめとして粕川章子、浅野正恭、吉田正一、田中千代松、間部詮信、土井晩翠、池澤原治郎、脇 長男、北村 研、麥林楢次郎、佐藤晴久、瀧澤良策が、日本心霊科学協会の発足準備を始めた。

昭和21年(1946) 吉田正一(弁護士)ほか14人が発起人となって「日本心霊科学協会」が設立された。

そのほか理事長吉田正一の妻で、すぐれた霊的能力者であった吉田綾と、その薫陶を受けた霊的能力者たちの協力を得て、科学と霊的能力の働きとのバランスのとれた活動が、本協会の特色となった。 昭和22年(1947) 機関誌「心霊研究」発刊。(浅野和三郎が発刊し、中断した雑誌の名を継ぐ)

昭和24年(1949)「財団法人日本心霊科学協会」となる。7月)

昭和35年(1960) ISF(国際スピリチュアリスト連盟)に加盟。

昭和39年(1964) 文京区湯島の井上富貴邸内に土地の提供を得て、家屋を建設し、本部を移転する。 昭和53年(1978) 創立30周年を記念して、新宿区上落合に会館を購入し、改装のうえ移転した。(最寄り駅=西武新宿線“下落合”)

平成 8年(1996)ISF(国際スピリチュアリスト連盟)会長ライオネル・オーエン氏を招いて、創立50周年記念行事を行う。「輪廻転生、未知の世界、その探究の歴史」と題して創立50周年記念講演とシンポジウムを開催した。(8月)

平成 8年(1996)英国ノアズアークソサエティ(「ノアの方舟協会」)の物理霊媒コリン・フライ(通称リンカーン)氏を招いて実験会を開催した。(11月)

平成12年(2000)事務局のコンピュータをインターネットに接続し、ホームページを開設した。(10月)

平成12年(2000)財団法人日本心霊科学協会の50年史である『創立五十周年記念特集』を出版する。(12月)

平成14年(2002)第1回心霊科学研究発表会を開催する。(6月)

平成24年(2012)「公益財団法人日本心霊科学協会」となる。(4月)

 

[現況]

現在、本協会は国内外でスピリチュアリズムの思想・哲学を広めるために、活発な活動を行っている。海外との交流も盛んで、ISF(国際スピリチュアリスト連盟)主宰の2年ごとに行われる国際会議等に、過去数回代表を送り、それを通じて欧米各地のスピリチュアリストと交流を行っている。また超心理学等の関連分野の学会で研究成果を発表したり、国内外の関連学会・友誼団体の学会誌・機関誌と「心霊研究」誌の交換を行い学術的な交流をしている。

そのほか本協会は、長年にわたり、心霊研究およびスピリチュアリズム関係の資料や図書の収集につとめ、会員の寄贈などもあって、現在では総数1万余冊に達している。中には歴史的な貴重本も少なくなく、この種の蔵書では、日本有数を自負している。

協会は、また、スピリチュアリズムの重要な担い手である霊的能力者の育成に努力を払っている。 このように本協会は、我が国における心霊研究、および、スピリチュアリズムの中心的存在であることを自覚し、広範囲にわたる活動を展開している。  

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